永遠の別れ

それは突然のことでした。まだ1歳と3ヶ月の短い人生が終わってしまったのは。
以前から、散歩などに出ると興奮するのか、元気欲引っ張るのですが、そのうち「ゴーゴー」という荒い呼吸になり、座り込んでしまうことがたびたびありました。心臓か呼吸器系が悪いのかも知れないとは思っていたのですが、普段の生活では本人もそれほど気にしていないようだったので、何かの機会にお獣医さんに見てもらおうと思っていました。 数日前、朝咳き込むようになったので肺炎にでもなったらいけないと思い、すぐに獣医さんに見てもらい色々な検査をしてもらいました。結果は気管支の一部がやわらかく、つぶれやすい部分があってひどく運動したり呼吸したときにその部分がつぶれた状態になり、「ゴーゴー」という激しい呼吸になるとのことでした。 対処法としてはこれからは散歩などは控えて、太らせないようにし、ずっと薬を飲み続けるか、手術をするのいずれかでした。 大吉の将来のことを考えると、犬にとっての楽しみの「食べること」「散歩」を一生制限するのはかわいそうだと思い、手術を選びました。
手術は簡単なもので、当日帰宅できるくらいのものだそうです。 術後の世話が出来るか不安だったので、火曜日までは病院で預かってもらう予定で、昨日手術をしてもらいました。その夜、大吉に癲癇の発作が出たと病院から連絡があったのですが、今までに一度も癲癇の症状を出したことはなかったのでそのことを話すと、手術かそのとき使う麻酔で誘発されたかも知れないが、たいしたことはないので大丈夫だが、夜中の間は病院内が無人になるので、もしその間に癲癇の症状が出て、自分が出した泡などで鼻やのどをふさいでしまうと窒息してしまうかもしれないので、一時退院して自宅で見てほしいと言うことになり、夜遅く大吉は帰って来ました。
虚勢手術も同時にしたので、エリザベスカラーと首に紙で作った円筒形の物をつけられて、獣医さんの引っ張るリードで自分で歩いて玄関を入ってきました。口の周りかべとべとで情けない感じに見えました。獣医さんに対処法を聞いている間、大吉は私よりも獣医さんの方ばかり向いていました。話も終わり獣医さんが帰るときもずっと玄関の外を見つめていました。今振り返って考えてみると、大吉は獣医さんしか自分を助けられないと感じ、それを一生懸命訴えていたのかもしれません。
それからは家の大吉がいつも遊ぶ部屋に、敷物をして粗相をしても大丈夫な寝床を作ってやりましたが、なかなか落ち着いてくれませんでしたが、1時間ほどすると癲癇の症状が出なくなったのですが、意識が朦朧としているのか、ふらふらとして、寝ようとも座ろうともしません。獣医さんが落ち着かせる薬を与えてあるといっていたので、そのせいで眠くなるのを我慢しているのだろうと思いました。 しばらくしてあきらめたように横になったのですが、呼吸が速くつらそうです。それが収まったかと思うと段々呼吸が弱くなっていくような気がしてきました。そして「キャンキャン」と鳴き始めたのですが、意識はなさそうでとても苦しそうです。あわてて獣医さんに電話をしたのですが「薬を飲ませてみてください」といわれ、電話を切り口元に手を出しても手に対しての反応はありません。こんな状態で薬など飲ませる方法は私にはわかりません。泣き声は10分程つづいて、段々と弱くなてきたので、どうすることも出来ない私はまた獣医さんに電話を入れました。もう息をしていないことを獣医さんに告げると、今からそちらに行きますということで電話は切れました。今朝5時40分のことでした。 それが大吉の最後でした。
獣医さんが着てから、長い間お話をしたのですがどうしても大吉の死を理解することが出来ないのです。手術自体は普段沢山経験のある手術で、死ぬようなものでもなかったし、癲癇自体も死ぬような症状でもない。と何度も説明してくださるのだけど。ならどうして大吉は死んでしまったの?
 今は手術を選ばなければ、今日もこれからも細々とでも、大吉と一緒にいられたと思うと、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない心の痛みでいっぱいです。
ごめんね大吉。こんなことになってしまって・・・。最近では噛み癖も直って、やんちゃに暴れることもなく、お互い分かりあえてきたのかなと実感できる毎日だったのに。本当にごめんね。

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